今年に入って休む間もなく動いている私です。。
1月はミャンマーとアメリカ出張、2月は新入社員の受入やG1九州・沖縄で福岡、来年度の事業の準備に関して打合せ、資源エネルギー庁「地域のじまんづくりプロジェクト」報告会、そして公益社団法人経済同友会さんのご協力で行わせて頂いております「人材留学」、3月は今年度の事業の報告、来年度の事業の準備、「人材留学」と休む間もなく走っております。
経済同友会さんとの取り組みは、まだ途中なので終了後に書きたいと思いますので、今回は書きませんが笑いあり、感動あり等、胸が熱くなる瞬間もありました。
来年度の事業計画も現在仕込み中でこちらもまだ書けませんが、すごくワクワクして面白い取り組みが満載なので、楽しみにしていてください。
書けない事ばかりですみません。。
今日は少し自分の話を書かせて頂きます。
今日は仕事の合間に少し時間が出来たので、昨年10月に亡くなった祖父に線香をあげに祖父母の家に行ってきました。
出張も多く、なかなか行く事が出来ませんでした。
一人でさっと行き、線香をあげ、祖母とも久しぶりにゆっくり話が出来ました。
私がこの世の中の「社会貢献」を行っている人間で尊敬する人の一人に挙がるのが祖父です。
祖父は60歳なる前に県庁を辞め、町内会長、さらに連合町内会や社会福祉を通して「社会貢献」に全てを注ぎ込みました。
私が会社を辞めて、今の世界に飛び込んだときも祖父は何も言いませんでした。
会うと必ず「女川はどうなんだ?」と良く聞いてきて、いろいろと私の話を聞いてくれました。
口数の少ない人なので、毎回僕が一方的に話すという。。
病床に倒れてからも必ず、行くと「最近どうだ?女川はどうなんだ?」と聞いてくれていました。
亡くなる一ヶ月前に女川の秋刀魚を食べて「今まで食べた秋刀魚の中で一番うまい」と言ってくれ、一尾全てを食べてくれました。
「また買ってきてやるし、いくらでも食べさせてあげるよ」と祖父に話していたのですが、それも叶わず、祖父は亡くなってしまいました。
お葬式には祖父を慕う人がたくさん訪れました。
そして、私も知らない祖父が行った様々な社会貢献の話が沢山出ました。
その時に思った事は、僕が会社を辞めて「被災地のために!」と走り出した時に祖父が温かく見守ってくれたことを思い出し(祖母には叱られました 笑)、私が社会貢献を仕事にしているのは祖父の血が大きくあるのかなと思うと、胸と目頭がとても熱くなりました。
そんな祖父ですが、亡くなる前に勲章をもらう事が決まっていたそうで、賞状が飾ってありました。
祖母と「体調を良くして、なんとか頂きにあがれるように頑張ろう」と話していたそうですが叶わなかったそうです。
勲章を眺めながら、祖父への尊敬とともに、祖父の孫で本当に良かったと心から感じました。
私も祖父に負けないように頑張ろうと思います。
また明日から大好きな「女川の為に」仕事を頑張ろうと思います。
ずっと東京出張で女川へ行くのは久しぶりなので、本当に楽しみです。
出張も落ち着くので、女川にいられるので本当に本当に嬉しいです。
とても良い時間を過ごす事が出来ました。
自分の血を知るという事は本当にすばらしい事ですね。

- Twitterのメッセージを読み込み中