僕がこの仕事で、女川町の皆さんから学んだ事。

今日は僕がこの仕事をしていて一番学んだ「人間 対 人間」の真剣勝負のコミュニケーションについて書かせて頂きます。

思うがままに書くので、まとまらないブログになったら、申し訳ございません。。。

 

僕が「ボランティアだけではなく、本気で故郷宮城をなんとかしたい」という想いのもと、会社を辞めたのが2011年9月末。

当時の僕は無職ですから、企業の看板も無く、活動に対する企業さん等のバックアップも無く、所属する団体も無く、仲間も無く、人脈も無く、お金も無く、無い無いだらけでした。

「役に立ちたい」と毎日宮城県の被災地の行政や商工会議所、商工会、観光協会、企業等に「今の課題・これから起こりうる課題についてお話をさせてください」と言っては毎日一人飛び込むわけです。当時29歳になったばかりの、どこの誰かわからない若造の僕の事を信じてくれる人は、あまりいませんでした。普通に考えれば、そうなりますよね。看板の肩書きも実績も無い人間なのですから。僕も逆の立場ならば、警戒するはずです 笑

退職した企業で残した経験や実績なんてものは、相手の課題や相手の興味と繋がらない限り、まったく無意味。

いやあ、辛かった 苦笑

 

少し関係が築けた町ができたと思ったら、急に関係が悪化し、出入り禁止のようになったこともありました。

何度も何度も弁解しても、受入れてもらえず、今もそのままです。

「しつこい」「もうわかったから」「熱意や想いがあれば何とかなる訳ではないですから」とお叱りや避けられてしまった事も多々ありました。会社員時代もこんなこともありましたが、上記のように何も無い状況では、精神的にかかる負担も全然違いました。愚痴る相手も一緒に考えてくれる相手もいない訳です。

 

正直、最近「小松さん、ものすごく順調じゃないですか」みたいな事を言われますが、傷ついて傷ついてという土台の上に今があるわけで全然順調ではないのです。。そして、失敗ばかりで立派な話なんて、僕には全然存在しないのです。。

 

このような状況になったのは、相手の方が悪いのではなく、僕自身に大きな問題があったからなのです。

何も無い僕に勝負できるものは、溢れる「被災地の為に何とかしたいという強い想い」。きっと僕は自分の熱意を押し付けるだけで、相手のことを本気でわかろうとしていなかったのだと思います。前職時代は、よく「相手の気持ちを汲み取る」とメンバーには教えていましたし、僕もそういうスタンスで仕事をしてきましたが、深さが全然違ったのです。

 

僕がこの機会で学んだ大きな事。

それは、『人間 対 人間』の本当の関係づくり。

 

会社を辞めた当時、様々な人に「最近どう?」ってよく聞かれた時に「生きているなあって感じ」と答えていました。当時は、たくさんの自然や生きることを考えさせられる場面がたくさんあるので、そのように思っていましたが、最近は『人間 対 人間のコミュニケーション』による繋がりや熱を感じるから「生きているなあ」と感じるのだな気がつきました。

 

僕は先ほどの相手に迷惑をかけてしまう事態を引き起こしながらも、さらに様々な町を廻り、その中で「女川町」と出会いました。初めて会ったにも関わらず「来週から手伝って」と言ってくださった商工会の青山さんには今も本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

 

僕は女川町に入り、たくさんの事を教えて頂いています。諦めない・信じ続けるという強い情念、世代や業態を越えて一つになる事が地域の将来を創るということ、どんなに小さな事でも絶対に本気でやりきる等・・・、本当に沢山あります。その中で、絶対に関わることが「人間 対 人間」という正面からのコミュニケーション。女川町の方とのコミュニケーションは肩書きも年齢の上下も関係なく、一人の人間 対 人間のコミュニケーションが基本です。

 

これを読んでいる皆さんに質問です。

皆さん、今の肩書きも年齢もなにも無くして、一人の自分という人間で、正々堂々と相手とぶつかっていけますか?

立場や仕事、年齢などに頼りすぎず、自分という人間だけでお話が出来ますか?

(仕事や立場、年齢を切り離せとは言いません。仕事や立場が自分の人生等大きなテーマになっており、体の一部になっている方もたくさんいらっしゃいますからね。そこに頼りすぎずにということです。)

 

僕は当時、できませんでした。

気づいたら、会社、自分のポジション、年齢、今までの実績や経験等、自分を取り囲む様々なものが接着剤のようにガチガチに自分についており、身動きが取れなくなっていました。

今も正直、できているか不安な時があります。

 

女川の皆さんの真っ直ぐなコミュニケーションが僕を育ててくれ、無いものをただただ求めるのではなく、自分自身で正面からコミュニケーションという真剣勝負をするという事で無を有に変えていく事が大切だということを気づかせてくれました。その後、僕は「とにかく相手の想いを受け止め、そして自分の想いや自分の考えを、自分の言葉で正面から誠心誠意話す」ということを女川でも、女川以外の場所でも心がけるようになりました。そうしたら、味方になってくださる方が一人増え、また一人と増え、女川町内外でたくさんの仲間が出来ました。法人も立上げられ、現在3名の仲間と仕事をしています。

 

僕は会社を辞めて当時廻った様々な町の皆さん、僕の話をお聞きくださる町内外の皆さん、そして何よりも生きるという事の本質を深い部分まで教えてくださった女川の皆さんには本当に本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

これを書きながら僕も改めてですが、皆さんも『人間 対 人間のコミュニケーション』という真剣勝負をぜひ、考えてみてはいかがでしょうか(あ!偉ぶっているわけでは有りませんよ><)。

 

「なぜ女川の方々とのコミュニケーションが気持ちがいい」と言う人が私も含め多いのか?

というと、ここにあると思います。

 

きっと女川だけに限らず、日本中の地域には生きた教科書がたくさんあるのだと僕は思います。

そう考えると、日本って国はまだまだたくさんの宝が眠っていそうですね。

 

僕もこれを書きながら、もう一度、初心に戻ろうと思います。